密の鰺 第七章 宴の請求書
フランスから帰ってすぐにおじいちゃんに連絡とったの。どうにか五体満足で帰って来れた報告もあるし、今後のことも色々と聞かないとね。再会した途端、なんだか親しみを感じて軽くハグした後キスしちゃった。おじいちゃんも私が「思った通りの人でよかった」って、とても喜んでたわ。私の事「マッカーサー元帥」なんて呼んで敬礼しちゃって。おじいちゃんはマッカーサーに心酔してて、私のことも彼みたいに勇敢でプライドがある、と誉めたかったみたい。私には?だけど。
私から言えば、おじいちゃんとの関係はボクサーとトレーナーみたいなもんね。彼がMr.「聞いてみます」に言ってくれた「明日帰りたいのであれば好きにしていい」って指示は、まるでリングにタオルを投げてくれたような感じに私は受け取ってたの。なんか遠く離れていても一心同体というか、人から見れば愛人関係にしか見えないのは分かってるけど、二人の間には友情すら芽生えてるようにも思えてたの。
但し、おじいちゃんが薦めた「結婚作戦」の中身は、私の思ってるのとかなりズレてるけど。
おじいちゃんの話だと、あんなのだけで向こうは満足してるらしいと仲介の不動産王は言ってきてるんだって。でもあんなので、どーやって結婚まで進むのかしら?「ダーリン」がなんて言ってきてるのか知りたいわ。
「結婚したら毎回、アレをするの?」「それは分からない。」
「どんなことリクエストされたか知ってるの?」「まあ、大体。」「大体ってどれぐらい?」「だから....そんなこと恥ずかしくて言えないよ。」
この人、ホントに全てを知ってるのかしら?
「....で、あなたはアレで満足できすかね?」
「あんなの普通じゃないわよ!アレでホントにセックスかって聞かれたら、全然違うって言うわよ!」
そこまで言ってやったら、彼、そんな元も子もないことを...と言わんばかりだったけど、「ダーリン」のアソコは使い物になるのかという点は言及せずに済むようはぐらかすの。それでまた会いに行って欲しいって言うから、一体何回逢えばお見合いの返事は貰えるのかって聞いたわ。
「それはそうそう簡単に決まらない。もし急いでるなら、最初から止めた方が良かったね。.........正直、彼はあなたのことをかなり気に入っているらしいけど、結婚に踏み切るまではかなり時間はかかるだろう。」
まあ、ハッキリ言って結婚なんてどーでもいいのよ。要はあんなセックスに我慢できる限度はせいぜい3、4回が限度。嫌になる前に私は辞めたいってこと。
あとどれぐらいの期間逢えばいいのか?っておじいちゃんを問い詰めたら、最低1年だって。
んー、私が「ダーリン」のリクエストに答えてあげたのは、純粋に御老人を救ってあげたいって気持ちからよ。別にお金とかの報酬はどーでもいいの。でも1年なんて長い間のボランティアは無理。ましてその間、他の男がつかないように監視がつくなんてもーダメ。ハリウッドの女優達が辞退した気持ち分かるわ。
「じゃー、1年我慢して何にもならなかったら、どーしてくれるの?」
って問い質したら、どうして欲しいのかの内容次第なんて言うの。
「いい?タイム・イズ・マネーよ。あなただってそー言ってたでしょ。」
そう言ったら彼、ビックリしちゃって。
私みたいな小娘、資産を手に入れるために何年だって頑張るはずだと思ってたんじゃない?でも私は不完全燃焼なセックスに1年も費やすのはイヤ。そりゃ中にはそんな条件でも呑める女がいるでしょーよ。私も貧乏なら我慢するかもしれない。でもこんな耐える生活なんてパパの愛人みたいじゃない。そんな自由のない退屈な生活はしたくない。こんなのまるで話が違うじゃない。
「じゃあ、今日でお終いにしたい場合はどーなるの?」
するとおじいちゃん、胸ポケットから紙とペンを出して「請求額を書け」だって。
私も考えたわよ。だって自分の値打ちに値段をつけろってことだから....中途半端な値段を書いたらそれだけの女と認めたことになるじゃない。私は命を賭けて行ったんだから、それだけに値する額を書かなくちゃ。これで呑むかどうか勝負だわ。
私は心を決めて数字を書き込み、裏返してテーブルに滑らせながら渡したの。
「....これで合ってますか?」平静を装いながらおじいちゃんは聞いてきたわ。
「合ってるわよ。間違いのない様、もう一度漢字で書くわ。」
10億円。数字の下にもう一度はっきり書いてあげたの。
彼、しぶい顔をして「分かった」と答え、私には目もくれずに帰っていったわ。その背中を見ながら、ひとつ気がついちゃった。おじいちゃん、いつもは誰かに支えてもらいながら歩くのに、やろうと思えば独りでも歩けるんじゃない!
勝負の結果、結局いくらで落ち着いたかは秘密よ。まあ、おじいちゃんは私への敬意を最後まで失わずに応えてくれたってことだけは言っておくわ。後年、病床のおじいちゃんを尋ねた時、彼は私の手をとって言ったの。
「あなたが私の子供だったら、どんなに楽しかっただろう....。」
私が打ち切りを申し出た何日か後、おじいちゃんからまた連絡があったの。
「あなたの意向はわかりました。額はともかく、どういう形で欲しいですか?」
振込先のことを言ってるのね?国内じゃダメか、って聞いたら何種類か混ぜこぜの外貨で渡すだって。
「処理方法はちゃんとしますんで、早々にもう一度行ってくれませんか?」
ちょっと、ちょっと!お高い値段だからって...あれはあくまで1回の値段よ。それになし崩しにだらだらと1年も拘束されるのはイヤ。はっきりと、これは1回分だと伝えたわ。このことはおじいちゃんだって分かってるはず。しばらく黙りこくったままだったけど、最後に切羽詰まったように「....分かった....。」って。私の勝ちね。
こうして「ダーリン」との2回目の逢瀬が決まったの。我ながら大きな賭けに出たけど、それは1回行って無傷で戻れることが分かったから最初の恐さがなかったせいね。やっぱ行ったおかげで、私もひと回り大きくなれたかしらね?
それからすぐおじいちゃんからちゃんと入金があったわ。まあ、報酬のどこまでが「ダーリン」、アメリカの不動産王、おじいちゃんの分担なのか良く分からないけど、小娘相手にきちんと約束を守ってくれたおじいちゃんには「偉いわね」って私、思ったの。
正直、おじいちゃんは今まで男社会に君臨するため、自分より強い相手は徹底的に否定する生き方をしてきたはずよ。でも今回は私に潔く降参したんだから....私の歩んできた道は間違いないんだわ、って再確認したの。今回の賭けは、私も金銭的に余裕があったから思いきって勝負を楽しめたんだと思う。
いつだったかBFとラスベガスに遊びに行ったことがあるの。私たちはV.I.P.ルームでルーレットを楽しんだわ。私は大儲けするつもりもなくて、単純にゲームを楽しみたかったの。同じ部屋の台湾人たちが必死に大金を張っては擂っていくのを片目で見ながら、シャンパンを片手に思い付くまま賭けていくと、どんどん勝てちゃうの。やっぱ何でも楽しんでいかないと上手く行かないって、その時思ったわ。
今回もそう。私に余裕がなければ何千万ぐらいで手を打ってたかもしれない。逆に欲深かったら、見透かされないように「0」って書いてたかも。そんなこと書いてたら「何考えてるんだ!」って一喝され、その場で謝ってたかもしれない。そうなったら、いよいよ足元をみられちゃったかも。
結局、私に遊び心があったから全て巧くことが運んだのよ。
「ダーリン」とまた古城で逢うことになったの。またあの退屈で注意事項だらけの生活。
それでも行く気になったのは「ダーリン」への個人的な興味があったからかな?もう80過ぎで病身なのに女の肌に触るためだけにアメリカからパリ郊外までやってくる性への執着心。それはもしかして死への準備をしてるのか、死への恐怖を忘れようとしてるのか....。古城で繰り広げられる彼の孤独な営みはすごく興味がそそられるの。
ダーリンは以前よりも具合が悪そうだったけど、欲求は前よりも強くみえたわ。また同じように広間のシャンデリアの下で抱かせてあげたの。広い部屋だからため息すら反響して大きく聞こえる。私たちがやってる横で付き添いの男の人が立ってるの。これって彼に見せつけてるのかしら?彼も見て見ぬ振りはしているんだろうけど、「ダーリン」にいたぶられてる私の姿に何にも感じないはずないわよね。
いえ、いたぶるってこーゆーシュチュエーション全てひっくるめてダーリンは私をいたぶってるのかも。そして私も不思議とこういうのがイヤではなかったの。ってゆーか、こんなの初めてなんで興奮しちゃった。こんな贅沢な設定でいやらしいことして、私の存在が「ダーリン」にエナジーを与えているなんて気分いい。セックスって単にやるだけじゃなくて、演出次第でどーゆー風にも楽しめるってことを教えられたような気がしたわ。
「ダーリン」との一件が終わった後も、おじいちゃんとは親しくさせて貰ってたわ。おじいちゃんからすれば私は初めて全てをさらせる他人だったんじゃないかしら?他の人には言わないような話も、私にはしてくれたの。私の前で泣いたこともあったわ。おじいちゃん曰く、私は海のような母のような存在なんだって。私に会ってたわいない話をすることで、仕事に役立てる閃きみたいのが欲しかったんじゃないかしら。彼は古き良き日本男児の男気を最後まで捨てず、いろんな秘密を自分で抱えたまま孤独に死んだ人だと思う。おじいちゃんも「ダーリン」も、少女時代の私のように心は孤独だったのかしら?
私の孤独は思春期以降も変わることはなかったわ。私、普通の子のような恋愛感情は持てなかったし、大人になって好きな人ができても高まった気持ちにまではなれなかった。色でいうなら燃え滾る赤ではなく、赤みがかったラベンダーのような紫。紫は情熱の赤と静寂の青が混ざってできる色でしょ。これが私の本質だと思うの。情熱的でいたいんだけど淡々と生きる習性が身についてて、一瞬、赤くなることはできてもそれは持続せず、いつのまにか紫に戻ってるの。私の中にあるのは真っ赤な情熱の核ではなく、温度の低い紫色の核なのよ。きっとおじいちゃんもダーリンも私と同じ種族の人間なんだわ。
第7章終わり